中学生の頃、クラスに「浅野温子」という大物芸能人と同姓同名の女子がいた。当時全盛期を極めていた「ダブル浅野」の片方と同じ名前だった彼女は、残念な事に名前以外全てが似ても似つかなかった。風貌は髪の毛テンパーのオラウータンだった。ゆえに、彼女の名前を言われるたび、クラスが爆笑の渦だった。馬鹿にした笑いだ。綺麗な女性と同姓同名になってしまったがゆえの悲劇。給食の時間、私は密かに彼女が泣いていたのを憶えてる。正義感の強い私はもちろん「おい!いい加減にイジメはやめろ」と止めるわけもなく、むしろどっちかっつうといじめる側に回っていた一番タチの悪いガキだった。数年後の同窓会、密かにあの「浅野温子」がどんな大人になってるかを期待していたが、結局彼女は現れなかった。今頃、僕らの【浅野温子】はどこで何をしてるんだろう。

今回の「御手洗さん」というのはもしかしたら私の中で彷徨う「浅野温子」への鎮魂歌のようなものかもしれない。

オリジナルを書く際には、そんな風にして、何か過去で立ち止まったままの衝動を呼び起こす事がままある。

また今回の作品に当たって、別の「衝動」もある。

好きなメンバーと好きな事をしたいという衝動である。私的な事で恐縮だが、近年めっきりいわゆる「商業演劇」を生業として生きてる。それはありがたい話でもあるし、いい大人になったな、という感じの「違和感」を抱えていたりもする。

元来、私は朝から晩までHな動画だけを過ごしたいというほどのクズのはずなのである。社会不適合者なのである。なのに、なんだか、いい「大人」を数年間続けいてる「違和感」がどこかにはある。もちろん昔には戻れない。ただ「演劇」がスキだった頃の、貧乏すぎてデパ地下の試食で過ごしてた頃の演劇少年の私と、時々、コミュニケーションをとってあげたい気がする。演劇と女のコにしか興味がなかった自分、根拠のない自信に溢れていた自分、誰かを蹴落としでも伸し上がりたいという自分。世界が滅んでも自分一人は生き残ると思ってた自分。自分大好き自分。あの頃の演劇少年の私とあの頃の浅野温子に「時々気にかけてるよ」という気持ちで作った。きっとこういう形でしか浄化されないと私の中の何かが叫んでおるのです。来年39歳の少年です。

 

2015年3月22日

なるせゆうせい